狩野央康 四段
2016年03月16日
「暗転より明鏡へ」「あっという間に終えた」これが終了直後の自分自身の感想でした。 楽しい時間は早く過ぎるといいます。確かに充足した幸せな時間だったと感じました。
一年前、海野孝師範の勧めもあり、自らの言葉で大石代悟範士に直接、四段昇段挑戦の許しを請いました。それ以降の私の稽古はそれまでと特に変わらず、何と言って特別なことは無く、ただ明確に定まった期日がそこに加わりました。但し、淡々と過ごす日常は私なりに価値基準を引き上げ、『頑張れば何とかできる』事を『出来て当然』、『普通』として設定し、それを繰り返す『普段』を『不断』とすることに努め続けてきました。具体的な例では、逆立ち二本指たて伏せを日課的に行い、これは同時に自身のその日の体調や疲れの程度を推し量るちょうど良いバロメーターにもなりました。審査当日も会場で同じく過ごし、実に快調であり、「よし!自身最強の境涯で臨める!」と絶好調を確認しました。
稽古の日々は心情的にも充実した毎日でした。「また闘える」と喜び当日を待ちました。私には型試合で是が非にも勝たなければならないという重責があります。とにかく型で勝つこと。宿命と思い励んできましたが、今では使命とらえ向き合うようにしています。
幸せな時間ほど短く感じるものです。まだまだいける。見えている。まだ動ける。そうやって開始江澤正治先生に火を着けて頂き始まった連続組手はまたたく間に四十人目の杉本龍哉先生を迎えていました。終了直後は拍手や歓声に包まれてか、達成感も感じていました。これといった外傷や打撲もなく、当夜はよく眠れると思い床に就きました。ところが3時間ほどで夜中に目が覚めると、昼の光景がよみがえり、もっとこうすれば、ああすればと脳内を巡り全く眠れなくなりました。翌日も同じく、ついには1週間何とも得体のしれないものに憑かれたかのように重くブルーに陥っておりました。
これについては結局何だったのか今もって明確に分かりませんが、海野師範の毎日のアドバイスや、大石範士からも激励の言葉を賜りやっと吹っ切れました。
次の戦いは目前。迷っている場合ではないし、さんざん振り返って思い当たる原因も見つからなかった。これ以上は究明の労力も時間も、相応な価値さえもあるものとは思えなく、無駄なことと悟りました。押し迫る第6回全日本極真「型」選手権大会。10月には世界大会を控えており、非常に重要な意義を持つ今大会は万に一つの手落ちも許されません。 団体戦メンバーには新しく、幼少より関わった守川仁もおります。当人は無論の事、大きな責任を負っての勝負です。
こうして顧みると、あの暗鏡の様な1週間も、大石道場の四段となるための私にとって必要な時間だったのかもしれません。これまでの日々も、自身最高の境涯で臨めた当日も、事後の覚悟を固めるための時間も、常に私の周りには師の存在があり、道場生ら仲間や子供たちの眼差しがあり、家族の献身がありました。全てに支えられて立っていました。 常に何らかの形で支えられ、守られ暖かく繋ぎとめられてこうして在ることの恩は、言葉で感謝しきれるものではありません。勿論、金銭や換わる代価で穴埋めできるものでもありません。
弟子は自身の勝利の姿で恩師の正しさを証明するのです。それが恩に報いる最良です。そこには自己中心の慢心があってはなりません。慢心はやがて不知恩という最悪に陥る高い危険性をはらんでいます。つまり絶対悪の芽です。 これからの私には更に多くの使命があることを自覚しています。強く正しい後継の青年を育てていくことも最も重要なもののひとつ。
私自身もまた一層に青年であり続けなければなりません。 「初心の心・必死の力」 師の言葉を胸に刻み、求道の一道場生として歩んでまいります。 押忍