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宮崎由美子 初段
2007年12月2日取得

「真の黒帯を目指して」
 この度、昇段審査の機会をいただき、ようやく極真の道のスタートラインに立つことができました。
大石代悟主席師範はじめ、恩師である海野先生、日々共に稽古してくださる先輩方と道場生の皆様、そしてご父兄の皆様、 本当に多くのご縁に恵まれ、ここまで辿り着くことができましたことを心より感謝申し上げます。
 6年前、美和道場の道場開きの日に初めて本物の極真空手を目の当たりにし、その圧倒的なまでの迫力に息を呑んだことが昨日のことのように 思い起こされます。
それまで、私にとって極真空手とは映画の中だけの世界でした。娘の友人に誘われ、不謹慎ながら興味本位の軽い気持ちで道場に足を踏み入れましたが、 そんな野次馬的な気分はすぐに払拭されるほど、今まで感じたことの無い凛とした世界がそこにはありました。
 娘が入門させていただいてから約一年間、家事と仕事の両立だけで精一杯の自分に、稽古までできるのだろうかとずっと二の足を踏んできましたが、 平成15年2月4日、美和道場に入門させていただきました。その時海野先生からいただいた言葉が、私にとって最も欠けていて、最も必要なものだったと、 今更ながら背筋が伸びる思いです。
先生は私に、道場生となる「覚悟」を問われました。ひとたび道場に上がれば母も子もなく、男女の差もなく、一道場生として稽古に打ち込むことができるか という覚悟です。内心私は驚きました。私のこれまでの決して短くはない人生において、何かを選択する時に「覚悟」など意識したことがあったでしょうか。
それから5年が経とうという今でも、時々そのことを思い返します。少し大袈裟な言い方をさせていただくと、明日死んでしまうかもしれないと 分かっているつもりでも、実はそんな覚悟など何もないまま分かったつもりで生きている、そういう私の甘さや軽さを見抜かれたのだと思っています。
 空手において、その「覚悟」が最も試されたのが今回の昇段審査でした。審査までの道のりをどう過ごすかが大事、その一念で、先輩方や道場の仲間の皆様に 貴重なお時間を割いていただきながら、自主稽古も行いました。ところが、型も組手も真剣にやればやるほど迷いが生じ、どうすればよいのか分からなくなってしまいました。 スタミナはない、スピードもない、技もない、ないないづくしだということを思い知らされたからです。 いったい今まで何をやってきたのだろうと思いました。稽古中にこてんぱんにやられ、あまりにくやしくて、情けなくて、泣きながら帰ったこともありました。 そうなってしまうと、型も組手も何もかもが駄目だという気がして、全てが嫌になってしまいそうでした。
 そんな私を見て、先生が「そういう思いをどれだけしたかが大切。今までやってきたことに自信を持っていいんだよ」と声をかけてくださいました。 そこで私は、荷物を一つ下ろせたようにホッとすることができました。審査までの道のりとは、審査のためだけの稽古や気構えのことでなく、 入門してから今に至るまでの歩みそのものであり、今こうして壁にぶつかりもがいていることは、少しずつでも前に進んでいるからなのだと思えるようになり、 当日は、一人ひとりただ全力を出し切って戦おうという気持ちで臨むことができました。
 またこの日は、審査を受けない少年部の子供達や父兄の方々も駆けつけてくださり、先輩や仲間達皆が「一緒に戦おう!」と私を送り出してくれました。 これまでの私は、過去のどの試合でも周囲の声援が全く耳に入らず、一人よがりな組手をしてきましたが、この日は違いました。 本当に大勢の方々の声援を全身で感じ、途中くじけそうになった時には、「負けるな!」と見えない手で背中を押してもらい、気持ちだけは最後まで前へ前へと向かうことができました。 初めて「応援が背中を押してくれる」という意味を実感できたことは、私の財産となりました。本当にありがとうございました。
 普段の厳しい稽古の中に、また合間に先生が話される言葉の中に、人生の指南書ともいえる要素があふれています。これまでの私は、基本を地道に積み重ねていくことや、号令と同時に 技を出すという単純なことが、実社会にも関わりがあろうとは考えもしませんでした。今が本当の意味でのスタートであると意を決し、先生や先輩方から受け継がれる「極真の精神」をもっと学び、 今度はそれを後輩の皆様に伝えてゆける真の黒帯となれるよう、これからも精進させていただきたいと思います。 

 

押 忍

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